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「思い出や感動を常に提供できる場所でありたい」-いちご栽培発祥の地から-

農業生産法人 こもろ布引いちご園株式会社
長野県小諸市大字大久保1173-1
代表取締役 倉本 浩行
品種 章姫、紅ほっぺ、とちおとめ、さちのか ほか 全15種類

1999年 農事組合法人 布引施設園芸組合 設立
2000年 いちご狩りオープン
2002年 静岡経済連への苗テスト出荷開始
2003年 長野県知事賞 きらりと光る農業農村活動賞 受賞
2006年 中山ほ場 完成
2008年 日本農業賞 大賞 農林水産大臣賞 受賞
2016年 Global G.A.P.取得

大人気のいちご狩りは、例年、元旦から営業を開始し、6月末まで大賑わい。年間45,000人のお客さんが来場されます。ビニールハウス内でのいちご狩りは、冬でも温かく、おいしいいちごをほおばるお客さんの姿は、幸せそのもの。今回は「こもろ布引いちご園 代表取締役 倉本浩行さん」のインタビューをお届けします。

いちご栽培発祥の地に「いちご平」というバス停

-小諸市の南側に位置する御牧ヶ原台地みまきがはらだいちは、いちご栽培発祥の地とお聞きしました。

「塩川伊一郎評伝(龍鳳書房 小林收/編著)」などの書籍や、先輩方から「いちご栽培発祥の地」と伝えられています。

当時(明治時代)は、今のようにビニールハウスではなく、露地でいちごを栽培していました。塩川伊一郎氏をはじめとする先人たちの想いとともに、年間を通じて降水量が少ないことや、国内屈指の晴天率など、適した風土がいちご栽培を盛んにしました。

現在の小諸市と東御市の境には、いちご畑があたり一面に広がっていたそうで、その名残で「いちご平」というバス停が現存しています。こもろ布引いちご園は、この「いちご平」という名を地域の宝と考え、創業からずっと大切にしています。

いちごの祖先かもしれない「御牧いちご」

-明治時代にいちご栽培が始まったということですが、その後はどうなったのでしょうか。

昭和13年、御牧ヶ原台地で群生するいちごを基に、長野県農事試験場が加工用優良品種「御牧ヶ原1号」、「御牧ヶ原2号」を開発しました。このいちごは「御牧いちご」と呼ばれ、栽培が広がっていったそうです。

しかし、産業構造の変化などから、昭和30年代頃に御牧ヶ原台地のいちご栽培は姿を消してしまいます…。

今でこそ品種改良により、数多くの種類のいちごがありますが、「御牧いちご」は品種改良の親株的存在で、今あるいちごの祖先にあたるのではないか、と言われています。平成19年4月26日には、信州の気候風土に適応した貴重な「食の文化財」として、「信州の伝統野菜」に選定されています。

それから月日は流れて、私たちがこの御牧ヶ原台地でいちご栽培を始めます。そして、無くなったと思われていた「御牧いちご」の株を見つけ出し、ビニールハウスの一角で栽培を始めました。現在は、株数を増やす取り組みを進めています。

実は、この「御牧いちご」を使ったジャムを復刻しようというプロジェクトがあります。明治時代、この地域で栽培・加工された「いちごジャム」と「洋桃缶詰」を明治天皇に献上したという記録が残っており、献上した日(4月20日)を日本ジャム工業組合が「ジャムの日」と定めています。この記念すべき日に献上されたジャムを復刻しようというものです。

「御牧いちご」は香りがよく、酸味が強いいちごなので、ジャム加工に向いていて、おいしいジャムになるのは間違いありません。ただ、ひとつの株に30~100gしか実を付けません。改良された現代の品種と比較すると、10分の1以下になります。課題も多く、まだまだ道半ばです。

経験は翌年の「変化」として表れる

-いちご栽培で苦労していることなど、教えてください。

栽培技術は、ようやくひとつ上のステージにいけたかな、そういう感じがしています。

平成12年に栽培を始め、そこから8年間は長野県知事や農林水産大臣から賞をいただくなど、周りからも注目され、大きな失敗もありませんでした。しかし、平成20~21年のことです。苗に炭疽病が発生したことで、大きな転機を迎えることになります。

この出来事で経営は苦しくなり、何とかして収益を確保しなければいけない状況の中で、経営のノウハウや今まで培ってきた技術を商品として、中国、タイ、オーストラリアなど、海外を飛び回る生活が始まりました。一年のうち230日以上を海外で過ごし、帰国しても休みなく、いちごと向き合いました。

中国では、1500haという広大な敷地で、いちご栽培を経験しました。一年で、何十年、何百年分の経験をさせていただいた気がします。経験は、必ず力となります。そして、翌年の栽培に変化として現れます。

葉っぱの高さひとつにしても、常に同じ技術はありません。「いちご」、「作業する人」、「お客さん」など、多角的な視点でいちごを見て、翌年への改善点を見出します。海外を飛び回っている中で、自身も勉強しながら栽培技術を高め、今に至っています。

いちごが色鮮やかに、味がのる「理由」

-いちご農家さんから見た小諸市の特徴を教えてください。また、栽培しているいちごの種類を教えてください。

栽培に関しては、標高があり、晴天率が高いことが大きな特徴で、昼夜の寒暖差も激しいので、いちごには最高の環境です。いちごがゆっくり生育しますので、色艶やかに、味がのります。

栽培しているいちごは、全部で15種類。夏いちご4品種、冬いちご10品種、御牧いちご1品種です。この地域では、取り扱う品種が一番多いのではないでしょうか。いちご狩りの主力品種は冬いちごの「章姫」と「紅ほっぺ」です。

「章姫」   豊かな甘みがありみずみずしい。
「紅ほっぺ」 甘みと酸味のバランスがよい。

いずれもおいしく、大人気の品種です。ぜひ、小諸市で育ったからこそ、艶やかに色づき、味がのったいちごを食べていただきたいと思います。小諸市の農産物全体に言えることですが、冬の寒さや寒暖差は、人間にとって厳しくても、農産物には元気に、おいしくなる要素であったりします。

思い出は「双方で作り上げていく」

-いちご農家さんとしての想い、これからの展望を教えてください。

農業全体の話になります。日本の農家人口は極端に減っていて、全人口の減少スピードよりも早い。作り手からすると、もっと生産能力を上げていかなくてはいけないと思っています。

「誰にでも分かりやすく、簡単に作れる技術を開発したり、労働環境を向上させていくことが必要ではないか」、「高齢化が進む中で、体さえ動けば働けるという土壌づくりをしていかなければ、日本の食を支えられないのではないか」そんな風に感じていて、微力ではありますが、取り組んでいます。

こもろ布引いちご園としては、今も昔も変わらず、地域と二人三脚で歩んでいきたいと思っています。

設立から今日まで、学校教育の一環で、地元の小学生にいちご狩り体験をしてもらっています。学校給食にもいちごを使っていただいていて、32歳以下の小諸出身者はほぼ100%、こもろ布引いちご園のいちごを食べているんです。お金では手に入らない、思い出や感動を常に提供できる場所であり続けたいと思っています。

それから、子どもに限らず、ここに暮らす人を巻き込んで、地域で盛り上がっていきたい。私たちと地域、「双方で作り上げていく」ことが大事だと感じています。

小諸市には誇れるものがあります。小諸八重紅枝垂や小諸すみれなどの固有の植物、城下町として発展した街並み、いちご栽培からジャムの加工まで挑戦した先人たちの歴史など、この他にもたくさんあります。入口がこもろ布引いちご園のいちごだったとしても、小諸市に足を運んで、「誇れるもの」に触れたり、見たり、感じたり、食べたりして、楽しむことにつながっていくと嬉しいです。

編集後記

こもろ布引いちご園さんは、Global G.A.P.を取得していて、国際基準の中でいちご栽培に取り組まれています。まさにこの地域で、いちご栽培のトップランナーとして走っていただいています。2019年には、株式会社ロッテさん(チョコレート菓子TOPPO)とお仕事をされ、小諸市内だけでなく、全国的にも大きな反響がありました。このお菓子のパッケージには、「長野県小諸市産いちご」とデザインされていて、こもろ布引いちご園さんの意見も聞いていただいた中で、決まったそうです。「小諸市で盛り上がっていきたい」という想いがあふれる、こもろ布引いちご園さんらしいエピソードです。

こもろ布引いちご園ホームページ

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最後まで読んでいただきありがとうございました。小諸市をもっと知っていただきたいので、PR動画を紹介します♪